三浦半島の人々はかつて、身近な自然の素材を工夫して自分たちの家を作っていました。
柱や梁(はり)などに使う木材は山から自分たちで切り出し、基礎も佐島石などを切り出して使われていました。
材を縛り付ける縄は、蔓や稲藁から作っていました。茅葺き(かやぶき)といわれる屋根が特徴であり、その歴史は縄文時代に遡ります。茅というのは植物の俗称であり、三浦半島では主にススキのことを茅と呼んでいました。
三浦半島の人々はかつて、身近な自然の素材を工夫して自分たちの家を作っていました。
柱や梁(はり)などに使う木材は山から自分たちで切り出し、基礎も佐島石などを切り出して使われていました。
材を縛り付ける縄は、蔓や稲藁から作っていました。茅葺き(かやぶき)といわれる屋根が特徴であり、その歴史は縄文時代に遡ります。茅というのは植物の俗称であり、三浦半島では主にススキのことを茅と呼んでいました。
屋根というのは建物の中でも特に重要なものです。雨漏りをすると快適に暮らせないばかりか、柱や壁が朽ちて家が崩れてしまうからです。人類がしっかりした屋根を自由に作る技術を手に入れたので、洞窟で暮らしていた時代から飛躍的に文明が発展したのだと思います。
屋根に使うススキは、今河川敷や荒れ地に生え放題になっているススキとは少し違います。山の斜面全体をカヤト(茅場)と呼ばれるススキの純群落にして、毎年刈り取って維持管理をしていました。
大楠山山麓や武山山麓にも何カ所もカヤトがあって、各集落で管理していました。冬に集落のみんなで刈り取り、集落の屋根を順番に協力して葺き替えていたようです。専門的な指導をするわずかな職人以外、材料の調達から屋根での作業までボランタリーでやってきたので、金銭的な負担はごくわずかだったようです。
ところがその集落協働の営みは崩れました。新しい屋根材が発明されたり、茅葺き屋根自体が減ってきたためです。
現代で茅葺き屋根を維持しようとすると、専門的な工務店へ委託することがほとんどで、材料は静岡県裾野市などから買い付けます。一棟葺き替えるのに数千万もかかるそうです。これではますます茅葺きを維持したいという人は減ってしまいます。今三浦半島には20万戸ほどの建物があると思いますが、茅葺き屋根は80戸ほどしか残っていません。
時代の流れとはいえ、本来どんな建物が地域固有の風景だったのかを後世に残すのは大切なことです。
川崎市や横浜市は、自治体が積極的に伝統的な建築物を保存しています。三浦半島の自治体は、残念ながらそのことに取り組んでいません。横須賀市が唯一持っている「万代会館」は、維持管理できずに朽ちて立入禁止になってしまいました。こうした、弱い自治体ではできないような公益的な活動を補完することも、NGOの大切な役割です。
横須賀市長坂にある「佐左衛門」は、1700年代から続く茅葺きの農家ですが、ナショナルトラスト活動として保存できることになりました。
茅葺きの母屋と、牛小屋、納屋などの付属屋、屋敷林、水田、畑が一体となって保全されています。
現在は茅葺きの上に鉄板が乗っていますが、屋根裏からは茅の様子を見ることができます。
あと10年で葺き替えの期限を迎えるため、その時は鉄板を乗せない純粋な茅葺き屋根として復原する予定です。
材料となる茅の調達では、当団体の保全サイトの一つである「湘南国際村めぐりの森」で10年前からカヤトの再生をしています。
現代における「結い」の営みを作っていきたいと考えています。ちなみに、カヤトの再生と茅葺き屋根の復原を一連のサイクルとして取り組んでいる団体は県内で当団体のみです。
ぜひ多くの方に三浦半島らしい茅葺き家屋を体験していただくため、民泊施設として届け出をしました。どうぞご利用ください。
茅葺き古民家の再生資金が足りません!