三浦半島は、かつてはどんな地域だったのでしょうか。
むかしの景観
三浦半島が現在の地形になったのは、今から6000年前の縄文海進期以降といわれています。
丘陵や台地の間にあった湿地を、2000年から4000年前に弥生人が田んぼにして以来、三浦半島の里山環境が形作られてきたのです。
弥生人の農民の暮らしは、その後ほとんどスタイルを変えずにごく最近まで続けられてきました。
大楠山のカヤ場
集落の屋根を葺くために広く作られました。
田浦の杉材の切り出し
若い薪炭林や植林が多い、明るい林でした。
平作の棚田
少しでも水が湧く斜面は全て水田でした。
源流域まで続く谷戸田
よく手入れされた田んぼが続いていました。
谷戸田の上は山の生産の場
薪炭林、植林、カヤ場が区分されていました。
金谷のまちなみ
立地の良い土地は住宅より田んぼでした。
- 春先に谷戸の田んぼをお越し、稲を植えて秋に収穫する。
- 冬は薪をとるために山の木をローテーションしながら切る。
- 家の屋根をふくためのカヤ場をつくる。
- 農作業には牛や馬の力を借りました。
このような営みが突然途絶えたのは今からほんの50年〜100年前の話です。
2000年以上続いていた里山の自然環境は、今からほんの50年〜100年の間に突然途絶えました。
里山とは、人が長年形成・維持して来た自然環境のことですが、まさに数千年間の時を経て、人と野生生物が共存できる空間が成立していた世界です。